夜になるとなんだかポリーニを聴いてしまう不思議
夕刻になり、家人のパソコンでAmazonのプライムミュージックを聴くことにした。
なんとなくジャズでもポップスでもなく、クラシックを選んでいた。
リストの中にポリーニが結構あって、私にはお馴染みのショパンエチュードもあるのだけれど、
前奏曲集かな、そう思い、聴き始めているところだ。
24の前奏曲のうちの、今は四番を聴いているのだが調性はホ短調。e-mollだ。
これは私も結構好きで弾くのだが、あまり難しい曲ではない。
技術だけとったら、であるが。
骨格のしっかりした曲で、それをポリーニが実に上手く弾いているのが良く分かる。
自分では今現在はエチュードしか、ポリーニのショパンは持っていないが、こういう演奏を聴くと、
他にももっと素晴らしい演奏があるのは分かっているけれど、やはりこの演奏ですっかり満足してしまう。
次の動きの速いニ長調は一分もかからない曲だ。これまた技術的には難曲ではないけれど、
このひとにかかると手際のよい料理人が魚を処理するように見事に「さばかれて」しまう。
聴いていて、すっきりとした感じを得られるので他のことが出来ないわけではないけれど
時々ふと手を止めて思わず聴き入る演奏だ。
以前コルトーで前奏曲集を聴いたとき、少々驚いた。
確かに、彼が超絶技巧の持ち主でないのは明らかではある。
しかし、その前に聴いていたカザルストリオの大公。これはベートーヴェンの有名なピアノ三重奏で
あるが、こちらでは良く歌うピアノを聴かせてくれていて、カザルスとティボーという、音楽性も違えば
勿論楽器の違う、この時代を代表する名チェリストと名ヴァイオリニスト二人の弦を見事に支え、しかも
絡み合う音を見事に形作っていたのである。
コルトーはショパン弾きと認識している人もいるしそういう批評家もいるのだが、前奏曲を数曲聴いたとき、
なんだか腑に落ちないような、落ち着かない気持ちになった。
要はコルトーのピアノはこの一連の前奏曲集には合っていない、そんな違和感だったのかもしれない。
今聴いたらまた違う感じを受けるかもしれない。久しぶりに探してみて、コルトーで聴いたら良さそうな曲も
物色しようかなと考えた。
ポリーニは今、有名な雨だれの前奏曲を「弾いている」ところだ。
これも難易度のことだけ言えば難しくはない曲で、暫くピアノを習ったひとが発表会などで弾こうかな、
という感じといえばなんとなく想像しやすいだろうか。
A B A という三部形式のこの曲は、左手の伴奏メインの音が同じリズムを刻み、それがあたかも
雨の落ちる音のようである、というので雨だれと呼ばれているようだ。ショパンの付けた曲名ではない。
今はBの部分の、長調から短調に変わった、やや激しさも増すところをだ。
このピアニストの素晴らしいのは、小さな音の美しさにもよる。
大きな音を出すより小さな音を弾く方がはるかに「難しい」のだ。
音を出すさじ加減や曲調に合わせた感覚…バランスの良さなどが大きく問われる所である。
もうすぐ雨だれは終わる。
やはりポリーニはいいなと思うのと同時に、夜に聴くには良いのかもしれない、と最近の
自分のポリーニを聴く時間帯を思う夜である。
さまざまな「顔」を持つ曲が楽しめるこのショパンの「前奏曲集」。
クラシックなんて聴かない、というひとにもおすすめだ。
因みに某胃腸薬の宣伝に永年使われている曲は、この前奏曲の一曲である。
どの曲なのか、全曲を聴いて探してみてはいかが?