セル(George Szell)、恐るべし

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初めてこの指揮者の演奏を耳にしたのはいつの頃であったか。

とにかく最初に意識したのは、モーツァルトの交響曲を振っているのを聴いた時かと思う。

透明感と、精度の密である弦の鳴らし方が、まず、特徴のひとつでもあろうか。

このひとはクリーブランド管弦楽団を造り上げた指揮者としても知られるところである。

どこを取ってもすさまじいまでの緊張感を孕む音を感じることもあれば、柔らかく、静かで

しかもどこまでも心地よい美しい旋律を聴かせてくれたりもする。

以前、「心地よさと、すがすがしさと」でも彼のことを書いた記憶があるが、とにかく天才的な、

素晴らしい指揮者であるのは言うまでもないと思う。

セルはモーツァルトを多く録音している。今回聴いて驚いたのは、モーツァルトが書いたピアノ

協奏曲、全27曲のうちの短調の曲のひとつ、有名な二楽章を擁する第20番のニ短調協奏曲である。

実は私はこの曲を余り好きという訳ではない。彼の協奏曲の中で、あえて聴くという曲では無いのだ。

それが、たまたま家人の持っていた、セルが振って、ルドルフ・ゼルキンがピアノを弾いている演奏

を聴いて驚いてしまった。

自分にとって、こんな20番は初めてだったのである。

この曲は出だしが暫くオケのみで進行するのだが、弦といい、管といい、じわじわと進んでいく、

どちらかと言えば激しい調子に導かれて行くこのテーマの部分が、非常に素晴らしいと初めて感じた

のである。

自分の大好きなピアニストが弾いていようが、非常に優れているといえる演奏であろうが、良い、

とは思わなかったのだ。

それが覆った。

通してはまだ一度しか聴いていないが、第一楽章の出だしの部分をセルの演奏で聴いて、この曲に対す

る自分の評価は大分上がった。こんないい曲だったのか。そう初めて思った。セル、恐るべし。

ときどきこういう演奏家がいる。どんな形で奏されても特別な事を感じないような曲を、全く違うモノ

にしてしまうのだ。

こういう、聴いて感じること、などは、非常に個人的なものである。感性といってもいいし、感

覚といってもいいが、あくまでも、どう感じるかなどは、ひとによってさまざまであるのだ。

だから私だけが感じることなのかもしれない。

とにかくこんな風に、あたかも新しい曲を提示されたかのような驚きー勿論嬉しい驚きーを与えてくれ

る演奏に出会うのは、稀なことであるのだ。

もうひとつ、この曲のことに触れると、モーツァルトに限らずなのだが、二短調という調性は、ちょっ

とした、かなり特徴的な調性と言えるのだ。いずれこのことについてもゆっくり書いてみたいと思う。

この演奏に出会えた今日は、なんだか特別な日のような気がする。

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