2016年2月8日
アルゲリッチのバッハとポリーニのショパン
先ごろ、アルゲリッチの弾くバッハのイギリス組曲の第三番を久しぶりに聴いた。
やはりいい。
ダイナミックな、そして情熱というより…翻訳が難しい「passion」を感じるこの
ピアニストのバッハは、実に独特でしかし力強くバッハの音楽に呑まれることなく
奏されている。
一方驚いたのは、ポリーニが弾いていた同じくバッハの平均律の第一巻の数曲だ。
五曲ほど聴いたのだが、ポリーニといえば、確かなそしてゆるぎない恐るべき技術の
持ち主であるのに、このバッハの平均律で、しかも演奏会ではなくCDで、音を外している
ところがあったのだ。
聴き間違いだと思って五回くらいは聴き直した。
はっきりと違う鍵盤を叩いている訳ではないけれど、隣の鍵盤に明らかに触れている。
それが数か所あったのだ。驚きの余り、聴くのをやめた。
そのあと、ポリーニの弾くショパンの練習曲作品25を聴いた。
素晴らしい演奏である。いつ聴いてもほれぼれとしてしまう。
続けて、ショパンの前奏曲も数曲聴いて見た。これもまたいい。
半ば試すような心持ちで、アルゲリッチで前奏曲を聴いてみた。
なんだかしっくりこない。音が綺麗だし、ダイナミックだし、華麗なのになぜだろうか。
非常にあいまいな表現ではあるが、重さを感じるのかなと思った。
重い前奏曲というのはちょっと違う感じだ。勿論ショパンの、であるが。
なんだかこの二人の、現代を代表すると言えるピアニストの特質に改めて
触れた気がした。