シゲティとミルシュタインのヴァイオリン協奏曲を聴いて

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たまたま見つけた、ブルーノ・ワルターがニューヨーク・フィルを振っているCD。

これには、二つの有名でかつ名曲であるヴァイオリン協奏曲が収められている。

ソリストがそれぞれ違うのだが、シゲティとミルシュタインであったから、迷わずに

購入したものだ。

久しぶりに聴いてみて、曲も違うから当たり前なのだが、二人の名ヴァイオリニストの

演奏の違いを感じたので書いてみる。

シゲティはベートーヴェンの協奏曲を、ミルシュタインはメンデルスゾーンの協奏曲を

演奏している。

ベートーヴェンもメンデルスゾーンも、たまたまかもしれないが、ヴァイオリン協奏曲と名の付く

ものは一曲しか残していない。メンデルスゾーンはヴァイオリンと弦楽器のための曲を残している

ようだが、こちらは広くは知られていないようだ。

その名曲二つをそれぞれのヴァイオリニストで聴いてみて、曲のほうではなく、演奏のほうに気を

とられてしまった。

比較しようと思っていたのではないが、本当に演奏って違うものだなあとしみじみした。

シゲティは、少々大仰なところがないでもないこの協奏曲を、実に巧みに弾きこなしている。

バッハの無伴奏パルティータをあれだけの技量で弾くひとだから当然なのかもしれないが、

高音も低音も素晴らしく芯の通った、気持ちの良い音を鳴らす。

微妙にヴィブラートのかかった音を出しても、それが大げさではないから、これまた良いのだ。

その澄んだ音と、ワルターの、常にウナコルダ(一弦で弾くという意味。一本から三本で成り立つ

弦をソフトペダルを使ってずらして一本(か二本)で鳴らす、小さめの音でという意味である)

で奏しているかのように思われる、柔らかで微かにこもったような音の独特なオーケストラとが

良く絡んで、好演といえよう。

名演奏家に不可欠の素晴らしい技術を持ちながらそれのみが強調されない

演奏である。見方を変えれば技術だけ取れば少し厳しい面が無きにしも非ずなのかもしれない。

一方のミルシュタインのほうは、音は通るし芯はあるのだが、音色としては柔らかさを感じる

ヴァイオリニストと認識している。このメンデルスゾーンでもその特質は変わることはなかった。

出だしはややきっちりときつめの音のソロで始めているが、良く歌うヴァイオリンである。

高音に限っていうと、その音に鋭さが加わっていく。それより下の音域ではあくまでも

柔らかい。ドルツェ、という言葉を当て嵌めてみたい気がする。ただ、第一楽章では特に、

パッセージが細かいことが多いので、柔らかさよりは透明感が少し前に出るかもしれない。

次の第二楽章になると、柔らかさが際立つ。そこが面白いのだが、音域が変わらない部分で

若干、デュナーミクが弱めな感じを受けるのである。

こう考えてみると、曲の選択もふたりのヴァイオリニストにぴったりという気がしないでもない。

逆を聴いてみたくもあるが、さて、日本での知名度がやや薄い感のある彼らのCDが簡単に見つかるか

どうか。

褒めるだけにしておきたいが、率直なところ、シゲティならバッハ、ミルシュタインならほかの曲で

素晴らしい演奏があって、それを愛聴しているがため、ここがこうだったならなあということも

書いてしまった。

それでもやはり、録音当時(外盤なのでデータが間違っていることもあるが、1945年と1947年の

演奏の音源であるから)のことを考えても、したがって音質が現在のものより難があるとしても、

その音楽の素晴らしさがまったく損なわれることのないのは驚嘆に値する。

二人の演奏を引き立てているのは指揮者とオーケストラである。

二つの協奏曲の、それぞれの幸せな「結婚」の結果が残した名演奏だ。

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