音楽家さまざま
音楽家もさまざまである。
作曲家、演奏家、楽器制作者、ここ何十年かのことでいえば、ミキサーやディレクター、その他、
さまざまな、音楽に携わる職業が出来たということもあり、どこを取って音楽家と呼ぶのか難しい
かもしれない。
時代を遡って、音を遺せなかった、過去のことを考えてみる。
作曲家は演奏家でもあることが多かったのは周知の事実かと思う。演奏が出来ない作曲家はまず
いないと言える時代が長く続いていたと思うが、演奏家という種類の人間もいた記録はあり
しかしながらその技量のほどは、作曲家や音楽を良く聴くひとびとの書き残したものでしか
分からないのが残念ではある。
楽器制作の職人のことは今は置いて、作曲家についてちょっと書いてみる。
以前、メンデルスゾーンの、言葉の無い音楽について触れた時書いた記憶があるが、才能が
裕福になれることには結びつかなかったというのは実際、数多くの天才と呼ばれた、大家たち
の生涯について知られている逸話が証明するところであるが、裕福どころか貧乏であったり、
病気がちであったり、不幸な家庭であったり、災難続きであったりと、幸せな生涯を送った
と言われるひとびとと比べると、その才能の分、あたかも代償として、つらい人生を送るという、
まるで、特殊な能力を得ることにともなう犠牲を背負っていたような、そんな感さえある。
ただ、彼らが凡人が考えるような「幸せでない」日々を送ったのだとしても、
はたして彼らは実際に不幸であったのか。その点は大いに疑問である。
曲を書く時、素晴らしい発想が湧いた時、曲を書き上げた時、自分の音楽が聴衆に熱狂的に
受け入れられた時。
それは至福の時であり、他人には推し量ることの叶わない、幸せなのではないかと思う。
何が無くとも彼らには音楽があった。
その事が全てを凌駕する。
それが真に優れた、才能ある、音楽家なのではないかと思う。