2014年5月3日
音楽の可能性
なにも堅い話ではないのであるが、音楽の可能性というものについて、改めて実感したので、そのこと
をちょっと書いてみたい。
音楽に何ができるか。
そのテーマについて、学生時代に、倫理の時間だったか、そんな課題が出たことがある。
もし世界が滅びるその時に、音楽に残された可能性のようなものは何か、がテーマであったのだが、
滅多に考える事をしない生徒達に、どういう課題を出すのかと、生徒のひとりである私は思ったもので
ある。
今は昔の16歳くらいのことだ。
先日来、ちょっと考えこむ出来ごとがあり、少々、自分の許容量を超えている気がするそれらを、
持て余すような、しっくりこないような、そんな気持ちが、ないまぜになっていた。
そんな時に、バッハのイギリス組曲を聴いた。
自分の好きな、第二番の前奏曲である。
演奏者が誰だったか、ラジオから流れる音をそれ以上、考えずに、ただ、譜面ではなく、音という形か
ら、前奏曲を捉えようとしている自分がいた。
音から入り込んで、バッハの世界の一部をひも解くような、そんな心持である。
そこにはもう、バッハと自分しかいないのであった。
私はその時、ただ、そのためにだけ、存在していた。
そのことで、ふっと、気持ちが軽くなったのである。
それは思いもよらなかったことで、しかし、それこそが音楽のもつ力であり、可能性に繋がるのではな
いか。
そんな風に考えた。
音の不思議を、体感したひとときである。