2014年9月12日
ハイドンのピアノ曲
ハイドン。この作曲家の肖像画が音楽室にあったか覚えていないのだが、交響曲の父、
として習った覚えはある。
確かに、その生涯に104もの交響曲を残したわけだが、数だけで父とは呼ばれまい。
質が問題であったし、古典派の中で、様式として交響曲を確立した、そのような存在であっ
たからなのだと思う。
今朝、彼のピアノソナタを聴いていて、いいなあと改めて思った時に、ちょっと思い出した
ことがあった。
この作曲家は、前にも少し触れたがモーツァルトと親交があり、互いに敬愛の念を抱き
その音楽においても影響を受け合ったのだが、交響曲や弦楽曲において、とりわけその
影響の跡が「見てとれる」のだ。以前、初期のモーツァルトってこんな交響曲書いてたっ
け?とラジオで流れてきた曲を聴いていたが、なんだか微妙な違和感は感じた。ようするに
モーツァルトかどうか分からなかったのである。蓋を開けてみると、ハイドン作であった。
たまに、そんなことがある。こちらの記憶力のせいかもしれないが、あるフレーズだけ取り上
げれば誰が書いたのか分からない、そんなことは他の作曲家でもままあることなのだ。
しかし、ピアノソナタではハイドンはあくまでハイドン、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンな
のであって、聴き誤ることの稀な感がある。不思議である。
ホロヴィッツとグールドの演奏で聴くことが多いが、どちらも好きだ。
後期のハイドンのソナタの充実した円熟した味わいは、なかなかのものである。
朝から贅沢な気分を味わっている。