ストコフスキーとグールドの「皇帝」
朝、けだるい気分と身体で目覚め、ラジオを聴く。
風邪のせいで薄い膜がはったようなうすぼんやりした頭でニュースを聞きながら朝の雑事を
して、少し落ち着いた所で音楽番組を聴いていたら、どうやらストコフスキーの特集らしい。
彼の指揮者としての、日本での知名度がどの程度かは微妙なのだが、素晴らしい演奏を残して
くれた演奏家であった。
二曲ほど終わり、次は何かなと耳を傾けていたら、全曲入手出来ない、グールドと共演した
ベートーヴェンの皇帝をやる、という!!
ぼんやりがすっとんで、そのまま今現在聴いているのだが、私が普段聴いている最終楽章のみ
でなく、出だしから聴いてみると、いやはや、なんというか。
これは恐らくグールドの希望したテンポだろうと思われる第一楽章である。
ストコフスキーの、芯はあるが、柔軟性と人間としての深みがあってこその妥協のように
思われる。
どういうことかと言うと、とにかく、テンポが遅いのだ。他の指揮者だったら怒って喧嘩を売
るところだろう。確かやはりベートーヴェンの協奏曲だったと思うのだが、バーンスタインと
共演した時、これはコンサートであったのだが、頑として自分がやりたいテンポを譲らなかっ
たグールドに、表面上は折れたものの相当苦い思いをしていたのだろう、コンサートの前に
これから演奏するこの曲のテンポは自分の本意ではない旨を聴衆に言った、という
エピソードがあるのだ。
コンサートの時でも奇妙なまでに低い、足を目いっぱい低くした、オリジナルの椅子にグールドが座るのを
こころ良く思わなかったジョージ・セルにも「あの若者は天才かもしれないが変人だ」と
言わしめているグールドなので、まあ仕方ないのかもしれないが。
しかしこのテンポのどこがおかしいのか。聴いているうちに、だんだんこれこそが皇帝、
そんな気持ちにさせられてしまうのがまたグールドである。
そして、それを柔らかい弦のトゥッテイと管と打楽器で、包み込んでいくようなストコフスキーの
振るオーケストラがまた、絶品であるのだ。こんなにいい曲だったんだなあとしみじみする。
ストコフスキーの残した録音は古い物が多いので、ノイズや音の状態をあれこれ気にかける
ひともおられるだろうが、それを跳ね飛ばす力が、彼にはある。音楽がここにある。
そのことを意識させてくれる稀有な音楽家である。
今、ちょうど第一楽章が終わった。静かに第二楽章が始まる。
是非入手したい、皇帝である。